2015年04月14日

教えてください 天阿上人とはどんな人物

大野市下黒谷町、黒谷観音表参道を登って行くと
右側は墓地、左側は杉林になっている所に、
自然石高さ150cmに、梵宇「阿弥陀如来」キリークと
六字の名号「南無阿弥陀佛」が彫られた
天阿上人の銘と花押がある、名号塔を発見した

その後、気になり再び、現地を訪ねると、この石碑より10mくらい
登った所に小ぶりな、自然石に陰刻された天阿上人の名号塔を見つけた
この墓地は、市街地にある浄土宗 善導寺の墓地であるようで
この上人も知恩院関係と思われる。

また参道を登ったところには、本尊十一観音を祀る
国生山 仏性寺 黒谷観音があるが、この寺と上人の
関係はないようです。この上人が歴代の知恩院の上人ならば
大野市としても、黒谷観音及び雪崩れ防護壁に描かれたレリーフと
共に、大変貴重な歴史の足跡と考えられるのでうが?

この上人と花押が一致する人物を知りたいのですが、
ご存じの方教えてください。

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また、名号塔の反対側の墓地には、知恩院御門跡第七十九世山下現有(孝譽上人)の
自然石に落款が彫られた、六字の名号を発見する。
この人物は、筆跡、銘文から孝譽上人と確認できる。
      
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             知 恩 院  一 門

         南 無 阿 弥 陀 佛
              
                孝 譽  □ □
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          孝譽の落款

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           左側面  大正十甲子年 
                  □ □ □ 
              





posted by 和姫 at 02:07| Comment(0) | 歴史的遺産

2014年12月22日

今も昔も人々の信仰を集める 帆山寺観音さま

18日は観音さまの縁日です。
越前市でただ一ヶ寺、今もご詠歌が唱えられている寺がある
北陸33番観音霊場の8番札所
「おくれじな、ぐぜいの船に 帆山寺御法の風にまかせて、南無観世音」
越前市の古刹で、その歴史は古く、町の中央に位置し
多く人たちの信仰を集めている
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帆山寺は越前市で誕生された、曹洞宗総持寺開祖 瑩山禅師の
慈母懐鑑大姉が毎日33巻の観音経を唱え、333拝の行を自分に課せ
胎内の子の安からん事を願い参拝して、37歳の高齢で無事出産された
祈願寺として有名です
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その祈願寺は、現在、村国山中腹に残されている
帆山寺、奥の院・多禰の観音堂です
創建当時、峯には松柏が青々と茂り、麓には洪々として
深淵がひろがり、浄土を思わせる霊地であったという
この淵底に数千年来住む大龍が、帆山寺の守護神といわれた。
この場所は、現在も龍ヶ淵(たつがふち)とよばれている

観音谷に当時をしのぶ石段が残され、
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参道脇には、織田信長の戦火で散乱した、石塔を集めた
石材は異なるが、五輪塔1基が残されている。銘はない
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天正19年(1591)に、帆山寺の遥拝所であった、越前市住吉町に
武生の領主 木村常陸介が社寺を寄進し帆山町から移ったと伝えられている
posted by 和姫 at 23:31| Comment(0) | 歴女日記

2014年11月29日

福井県の歴史教えます『ふるさと越前の歴史発掘』

福井語り部の会、ボランテアガイドのベテラン案内人の
友人から、新田塚郷土研究会発行の『ふるさと越前の歴史発掘』が
送られてきた。
発行は、早いペースで3冊目となる
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新田塚町は、暦応元年(1336)『太平記』19巻
「新田義貞越前の府の城を落とすこと」に記された日野川の戦いで、
北朝方の武将斯波高経に大勝利した、南朝方新田義貞の戦死の地

日野川の戦いは、南朝方義貞の大勝利となり、しばし越前府中で
兵を休め、陣を整え、やがて北に向かって進撃した

しかし、同年7月藤島城(福井)を偵察のため、
わずか50騎の兵を率いてで陣をでた新田義貞は、
灯明寺畷で不意を打たれ戦死した

万治3年(1660)福井藩主松平光通公は、義貞の兜が発見された
場所に「新田義貞戦死の所」の石碑を建立、それ以来この地を新田塚と
呼ぶようになった。

新田塚郷土歴史会の熱心な取組は、日頃友人から聞いている
今回も、福井県に関係した、歴史上の人物を取り上げ
各自が、さまざまなジャンルで書いている
歴史はおもしろい、一つの事柄からつぎから次ぎへと
繋がりをもち底が深い

歴史を勉強することは、体にも頭にも、最良の薬とおもう




posted by 和姫 at 00:43| Comment(1) | 歴女日記

2014年11月12日

在り来たりではありません?越前市芦山公園夫婦池の紅葉

紅葉は里へ降りてきました.周りの山々は
赤、黄など競うように、色さまざまな衣装に衣替えして
迎える冬に向い、ゆく秋を惜しんでいます。

昨年、見つけた越前市の、神秘的で幻想的な、
紅葉の名所、村国山芦山公園夫婦池へ、晴天を見計らい、行ってきました。
登山道から池まで車で約1分、午後二時、人影はなく、寂しく
北西側の谷間を利用して人口的に造られている。
池の周りのもみじは色鮮やかで、水面に映る木々は美しく、神秘的な
絵画の世界が広がっています
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芦山公園 紅葉


 この公園は、大正13年に蚊帳製造業で産を成した、
山本甚ェ門が、公園用地として市に寄付したもので、
日本近代公園設計の第一人者、林学博士 本多静六の設計によるものです。
博士は、日本初の造林学、造園学の基礎を築くと共に、自然と調和した
全国各地の名園造園設計に深く関わり「日本造園の父」と言われています。

 小さな地方都市で、本多静六氏の設計した作品が残されている事は、
大きな資産であり、観光資源です。
 市では町づくりの一環として、国府探しのための、発掘や国府サミット、
講演会など行われていますが、町づくりを国府だけに依存せず
 もっと身近にある、隠れたお宝を見直し、越前の良さをアピールして
越前ものがたりの1へ―ジに加えたいですね。








posted by 和姫 at 00:00| Comment(0) | 歴女日記

2014年11月09日

雪吊り

11月に入ると、造園屋さんは忙しくなる
冬の風物詩、街路樹の木々の雪吊りがはじまる
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越前市役所前道路は早くも冬の準備です
この木、市役所前で1番大きく
何本ものわらが放射線状に張られる、その光景は美しく
雪国ならでしか見られない。
越前市では、これからの季節、クリスマス、正月に向けて
雪から街路樹を守るだけでなく、LEDイルミネーションが
白色、青色、MIXと輝き町を彩ってくれる。
posted by 和姫 at 22:25| Comment(0) | 歴女日記

糞掃衣との出会いは、人生を変える力をもっている

一雨一雨、寒くなってきました、お変わりありませんか

月2回、龍泉寺庫裡で行われている、「龍泉寺お袈裟を縫う会」に
行ってきました。
お袈裟を縫う会は結成10年。1年に1枚のペースで縫っています。

今回縫っているのは、15条糞掃衣で、いらなくなって捨てられる
人のほしがらない、きれいなところをよく洗い、大小、長短に切られ
ほころびたところに、山や川をつけて、縫い合わせていきます
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15条の袈裟は、開山忌や涅槃会など、寺の重要な法要に付け
普段は、黄土色の7条、9条の袈裟をつける様です

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曹洞宗道元禅師は、若き日、留学した宋国景徳寺の僧堂で
修行僧が坐禅を始める前に、深々と合掌して
頭上に袈裟をのせて偈文(すべての執着を離れた袈裟、それは
如来の教えをいただき、諸々の衆生を救済せん)を唱え、
袈裟を付ける姿に驚き、袈裟の正しい教えに巡り会え喜びに
普段感情を表さない禅師が、喜びの涙を流したといいます。

今日は、2枚目の糞掃衣に挑戦している、敦賀市から4人が
みえました。
糞掃衣は、立派だ、きれいに仕上がったと、美を追求するより
縫い方の上手下手をとわず、1針1針こころをこめて
ていねいに縫っていく。これが本当のお袈裟です
どうぞ皆様も挑戦してみてはいかがですか。
私のブログに以前、男性の方のコメントで
無心に一生懸命縫っていたら、長年のうつ病が直りましたと
ありました。そうですね、無心になれたことが一番の薬だっ
たのでしょう。
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敦賀の人の二枚目です。11月20日の開山忌には、付けて頂きたいと
がんばっています。
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posted by 和姫 at 21:25| Comment(0) | 歴女日記

2014年11月04日

郷土の偉人「天皇の料理番 秋山徳蔵企画展」

菊薫る文化の秋、武生公会堂で11月9日まで開催されている、
秋山徳蔵の生涯と業績を紹介する、没後40年企画展に行ってきました。
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明治21年、現在の越前市国高町に生まれ、単身ヨーロッパで修行の後
26歳で宮内庁大膳寮司長に抜擢され、天皇の料理番として58年間、
激動の大正・昭和時代を天皇家、宮中宴席の料理を取り仕切ってきた。

 大正天皇即位式の晩餐会では、国賓を一流のフランス料理でもてなす、
責任者として拝命を受け、そのメーンの食材に選んだのはザリガニでした。
グロテスクなアメリカザリガニは、フランス料理では、
ポピュラ―な食材として使用されているが、
日本では泥臭く、料理には不向きでな食材であった。

しかし、秋山氏はあくまでもザリガニにこだわり、
北海道のきれいな真水の原生林に生息する「日本ザリガニ」を2ヶ月かけ
軍隊を使い3,000匹を捕獲、驚きの「ザリガニのポタージュ」を作っている。

秋山氏がそこまで、ザリガニにこだわったのは、大正天皇は幼少の頃、
体が弱く、滋養食としてザリガニを好んでめしあがられたことへの思い、
そして、世界に通用する西洋料理に、日本で手に入りにくい食材をあえて使用した事、
すべてが相手への思いやり、来賓へのおもてなしの心であると感じとれた。

晩餐会の成功は5年後、日本は国連の常任理事国入りし、日本は一流国家として認められた。
この時の、料理外交の成功は、秋山氏に大きな感動をもたらした。
会場に展示されている、墨絵は生涯忘れられない、思い出のザリガニが、
多くの作品に生き生きと描かれている。

また、昭和天皇が好まれて召し上がったという越前おろしそばが、
会場の一角に展示されていたが、その陰には、郷土を愛した秋山氏の
思いの深さが伝わるてくる。 

 「自分の仕事への真剣さ、こればかりはどんな時代であっても、
変わりなく大切なことである」と言われるように、
料理人として貫き通された人生が、展示されている写真のお顔からみえてくる。
人はどう生きるべきか、考えさせられる企画展でした。
 



posted by 和姫 at 02:33| Comment(0) | 偉人・歴史上の人物