2015年11月01日

越前万歳「お早良作」の供養塔の謎が解けました

越前万歳題目「お早と良作」の供養塔のある
坂井市長畑へ行ってきました
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実話、今から約200年前の文化5年、加賀大聖寺藩の武士と町人の娘の
悲恋物語。この地で命を散った二人の心情を憐れみ、
旧北陸道に面した一角に、文久元年(1868)地蔵堂が建立され
道を挟みお堂の向い側には、地蔵堂より約30年前、天保12年(1841)辛丑年3月
勿谷石の供養塔が建立されている。柔らかい勿谷石のこと基礎部分が
ひび割れし、正面の文字もうすくなりつつある。
歴史的資産は、屋根などつけて保存をお願いしたいです
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この供養塔の「南無阿弥陀佛」特徴のある丸みを帯びた文字と花押から
念仏行者、浄土宗の無智光導と認められる
側面右側には、善導大師の教えか、光導自身が詠んだものか
「志ゝてのち わがみに そゆるたからにハ なむ阿みだぶに 志くものハなし」の
文字が刻まれている
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この地にきて、地蔵堂、供養塔が今も、近隣の人達に守られ、
道行く人たちの安全を守っている。2人は幸せにいてくれるね
そんなあたたかさが感じとれた

この地に、光導行者がなぜ供養塔を建立したのか、その謎が解けました
次回の投稿をお楽しみに
posted by 和姫 at 23:53| Comment(0) | 史蹟・神社 仏閣
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