2014年11月29日

福井県の歴史教えます『ふるさと越前の歴史発掘』

福井語り部の会、ボランテアガイドのベテラン案内人の
友人から、新田塚郷土研究会発行の『ふるさと越前の歴史発掘』が
送られてきた。
発行は、早いペースで3冊目となる
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新田塚町は、暦応元年(1336)『太平記』19巻
「新田義貞越前の府の城を落とすこと」に記された日野川の戦いで、
北朝方の武将斯波高経に大勝利した、南朝方新田義貞の戦死の地

日野川の戦いは、南朝方義貞の大勝利となり、しばし越前府中で
兵を休め、陣を整え、やがて北に向かって進撃した

しかし、同年7月藤島城(福井)を偵察のため、
わずか50騎の兵を率いてで陣をでた新田義貞は、
灯明寺畷で不意を打たれ戦死した

万治3年(1660)福井藩主松平光通公は、義貞の兜が発見された
場所に「新田義貞戦死の所」の石碑を建立、それ以来この地を新田塚と
呼ぶようになった。

新田塚郷土歴史会の熱心な取組は、日頃友人から聞いている
今回も、福井県に関係した、歴史上の人物を取り上げ
各自が、さまざまなジャンルで書いている
歴史はおもしろい、一つの事柄からつぎから次ぎへと
繋がりをもち底が深い

歴史を勉強することは、体にも頭にも、最良の薬とおもう




posted by 和姫 at 00:43| Comment(1) | 歴女日記

2014年11月12日

在り来たりではありません?越前市芦山公園夫婦池の紅葉

紅葉は里へ降りてきました.周りの山々は
赤、黄など競うように、色さまざまな衣装に衣替えして
迎える冬に向い、ゆく秋を惜しんでいます。

昨年、見つけた越前市の、神秘的で幻想的な、
紅葉の名所、村国山芦山公園夫婦池へ、晴天を見計らい、行ってきました。
登山道から池まで車で約1分、午後二時、人影はなく、寂しく
北西側の谷間を利用して人口的に造られている。
池の周りのもみじは色鮮やかで、水面に映る木々は美しく、神秘的な
絵画の世界が広がっています
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芦山公園 紅葉


 この公園は、大正13年に蚊帳製造業で産を成した、
山本甚ェ門が、公園用地として市に寄付したもので、
日本近代公園設計の第一人者、林学博士 本多静六の設計によるものです。
博士は、日本初の造林学、造園学の基礎を築くと共に、自然と調和した
全国各地の名園造園設計に深く関わり「日本造園の父」と言われています。

 小さな地方都市で、本多静六氏の設計した作品が残されている事は、
大きな資産であり、観光資源です。
 市では町づくりの一環として、国府探しのための、発掘や国府サミット、
講演会など行われていますが、町づくりを国府だけに依存せず
 もっと身近にある、隠れたお宝を見直し、越前の良さをアピールして
越前ものがたりの1へ―ジに加えたいですね。








posted by 和姫 at 00:00| Comment(0) | 歴女日記

2014年11月09日

雪吊り

11月に入ると、造園屋さんは忙しくなる
冬の風物詩、街路樹の木々の雪吊りがはじまる
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越前市役所前道路は早くも冬の準備です
この木、市役所前で1番大きく
何本ものわらが放射線状に張られる、その光景は美しく
雪国ならでしか見られない。
越前市では、これからの季節、クリスマス、正月に向けて
雪から街路樹を守るだけでなく、LEDイルミネーションが
白色、青色、MIXと輝き町を彩ってくれる。
posted by 和姫 at 22:25| Comment(0) | 歴女日記

糞掃衣との出会いは、人生を変える力をもっている

一雨一雨、寒くなってきました、お変わりありませんか

月2回、龍泉寺庫裡で行われている、「龍泉寺お袈裟を縫う会」に
行ってきました。
お袈裟を縫う会は結成10年。1年に1枚のペースで縫っています。

今回縫っているのは、15条糞掃衣で、いらなくなって捨てられる
人のほしがらない、きれいなところをよく洗い、大小、長短に切られ
ほころびたところに、山や川をつけて、縫い合わせていきます
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15条の袈裟は、開山忌や涅槃会など、寺の重要な法要に付け
普段は、黄土色の7条、9条の袈裟をつける様です

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曹洞宗道元禅師は、若き日、留学した宋国景徳寺の僧堂で
修行僧が坐禅を始める前に、深々と合掌して
頭上に袈裟をのせて偈文(すべての執着を離れた袈裟、それは
如来の教えをいただき、諸々の衆生を救済せん)を唱え、
袈裟を付ける姿に驚き、袈裟の正しい教えに巡り会え喜びに
普段感情を表さない禅師が、喜びの涙を流したといいます。

今日は、2枚目の糞掃衣に挑戦している、敦賀市から4人が
みえました。
糞掃衣は、立派だ、きれいに仕上がったと、美を追求するより
縫い方の上手下手をとわず、1針1針こころをこめて
ていねいに縫っていく。これが本当のお袈裟です
どうぞ皆様も挑戦してみてはいかがですか。
私のブログに以前、男性の方のコメントで
無心に一生懸命縫っていたら、長年のうつ病が直りましたと
ありました。そうですね、無心になれたことが一番の薬だっ
たのでしょう。
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敦賀の人の二枚目です。11月20日の開山忌には、付けて頂きたいと
がんばっています。
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posted by 和姫 at 21:25| Comment(0) | 歴女日記

2014年11月04日

郷土の偉人「天皇の料理番 秋山徳蔵企画展」

菊薫る文化の秋、武生公会堂で11月9日まで開催されている、
秋山徳蔵の生涯と業績を紹介する、没後40年企画展に行ってきました。
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明治21年、現在の越前市国高町に生まれ、単身ヨーロッパで修行の後
26歳で宮内庁大膳寮司長に抜擢され、天皇の料理番として58年間、
激動の大正・昭和時代を天皇家、宮中宴席の料理を取り仕切ってきた。

 大正天皇即位式の晩餐会では、国賓を一流のフランス料理でもてなす、
責任者として拝命を受け、そのメーンの食材に選んだのはザリガニでした。
グロテスクなアメリカザリガニは、フランス料理では、
ポピュラ―な食材として使用されているが、
日本では泥臭く、料理には不向きでな食材であった。

しかし、秋山氏はあくまでもザリガニにこだわり、
北海道のきれいな真水の原生林に生息する「日本ザリガニ」を2ヶ月かけ
軍隊を使い3,000匹を捕獲、驚きの「ザリガニのポタージュ」を作っている。

秋山氏がそこまで、ザリガニにこだわったのは、大正天皇は幼少の頃、
体が弱く、滋養食としてザリガニを好んでめしあがられたことへの思い、
そして、世界に通用する西洋料理に、日本で手に入りにくい食材をあえて使用した事、
すべてが相手への思いやり、来賓へのおもてなしの心であると感じとれた。

晩餐会の成功は5年後、日本は国連の常任理事国入りし、日本は一流国家として認められた。
この時の、料理外交の成功は、秋山氏に大きな感動をもたらした。
会場に展示されている、墨絵は生涯忘れられない、思い出のザリガニが、
多くの作品に生き生きと描かれている。

また、昭和天皇が好まれて召し上がったという越前おろしそばが、
会場の一角に展示されていたが、その陰には、郷土を愛した秋山氏の
思いの深さが伝わるてくる。 

 「自分の仕事への真剣さ、こればかりはどんな時代であっても、
変わりなく大切なことである」と言われるように、
料理人として貫き通された人生が、展示されている写真のお顔からみえてくる。
人はどう生きるべきか、考えさせられる企画展でした。
 



posted by 和姫 at 02:33| Comment(0) | 偉人・歴史上の人物

2014年11月03日

光に導かれ、南越前町糠円光寺へお参り

一雨ごとに寒くなってきました。里の山々も色づき始めました
お元気ですか。
昼から、永代供養の法要がおこなわれるということで
南条郡南越前町糠・円光寺へお参りに行きました。
この寺の創建は678年と古く、お御堂へ入ると寺の歴史を感じます。
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天台僧 真盛は全国各地で布教を勤めたが、長享2年(1488)
八月越前府中に立ち寄り、引接寺を創建していることから
この頃、円光寺も真盛上人に帰依し、天台宗真盛派となり
近隣の村々の人たちから篤く信仰されていた。
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今日も、お参りの人の多くは、老若婦人が多いが、土地柄で男性は海に
出て漁をして生活をしているので、女性のお参りがほとんどだという
お参りの多くは、近隣、村内の人達が大半で、村外からの参拝者はいない
今も、村の団結心は堅く、きちんと守られている。
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境内の入り口には、笏谷石製の六地蔵が祀られ、その中央には延命地蔵が安置
され、その基盤3面には「明暦3年2月(1657)」「・・和尚位」の陰刻銘文がある。
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本堂前には、花崗岩製の総高(約4m)の宝篋印塔がある。塔身4面には金剛界4仏の
種子を刻み、基盤石には多くの戒名と共に「願主・敦賀真禅寺 真□上人/當寺良戒和尚
納軽 祖玄法師」とあり、塔身下台背面には「干時 弘化二年七月日建為(1845)」などある。
また境内には、経塔1基が横倒しに寝かせている。
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墓地中央に笏谷石製三重塔がある。また墓地内には、笏谷石の欠損品が残されている。、
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古い寺には、必ず歴史的な石塔、石仏が残されている。しかし、割れたり、倒れたり

その価値をわからずに無残に放置され、捨てられるものが多い。

特に、福井県の場合、神社や寺には、材質が柔らかく細工がしやすい
足羽山で採掘された、笏谷石が多く使われ、残されている。

しかし、平成11年の笏谷石採掘の中止は、再び石造物として笏谷石が蘇ることはない。

既存の品を大切にしてほしいと願っています。

posted by 和姫 at 23:33| Comment(0) | 史蹟・神社 仏閣

『越前瑩山禅師ものがたり』見聞録A 瑩山禅師御誕生仏

この本に掲載した写真は、7年の年月をかけて、1部の資料を除き
現地へ出向き撮影したもので、私にとってすべてが懐かしく、
当時の思いがよみがえってくる。
 本の中には、240枚の写真を掲載してあるが、それほど多いと感じないが、
思えばそれの 何倍も何十倍も撮っていたことになる 驚きだ。

瑩山禅師御誕生仏
 曹洞宗総持寺開祖瑩山禅師のお母さんが祈願に訪れた、多禰の観音堂は、
当時村国山の中復に、建立されていた。創建当時、峰には松柏が青々と茂り、麓には
洪々として深淵が広がり、浄土を思わせる霊地であつたという。
その後、織田信長の戦火にあい、現在地、越前住吉町に移転している。
 この誕生仏は、宝物殿に保管されている物を、わざわざ見せていただきました、
涼やかなお顔の誕生仏です。

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帆山町瑩山禅師石碑に寄り添うように立てられている.
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瑩山禅師の慈母「孝養の碑」
posted by 和姫 at 01:48| Comment(0) | 地方・郷土史