2014年06月09日

越前市に残る本地仏、第一級品「荒谷観音立像」

写真でみて是非拝観したい、素朴な中に清楚な雰囲気を
漂わせている、観音立像が越前市にある。区長さまのご厚意により
その思いが叶えられた。

 泰澄大師が福井県内に開いた霊山のなかで、特に崇高な越前五山(文殊山・日野山・越知山・吉野ヶ岳・白山)の一つに数えられる日野山。その秀麗な姿は越前富士と親しまれ、紫式部や松尾芭蕉など多くの歌人に詠まれ愛されてきた。日野山は別名、雛が嶽、お嶽山と呼ばれ、神体山として仰がれ、継体天皇が崇拝され、醍醐天皇延喜10年(910年)9月5日『日本記略』には授越前国日野明神従五位下と見え、国内神名帳には従一位日野大明神とある。

標高794mその北麓に、荒谷町がある。
荒谷登山道は。数ある登山道のなかで、風光明媚で起伏に富み、
旧跡が残されているなど、登山者にもっとも愛されているコースである。
この登山道登り口に、日野神社と観音堂がある。
観音堂は享保6年(1721)の『鯖江藩寺社改帳』には「氏神観音堂 長6尺2寸 泰澄大師作
3間四面」とあるが、明治12年の『神社明細帳』には「二の宮」と記されている。
明治41年8月7日には二宮神社が日野神社に合祀、合併している
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また、荒谷町の西隣西谷町には「一の宮」があり、10世紀後半の作と言われている
薬師如来坐像が安置され、荒谷町の北隣岩内町「三の宮」には、12世紀代の作と言われている
阿弥陀如来座像と聖観音菩薩が安置されている。
この「一の宮、二の宮、三の宮」の三社は、日野山山頂に祀られている、日野山日野権現の下宮として
置かれていたようで、この三社の仏像は神仏融合のなかから生まれた本地仏とみなされている
毎年例大祭には、この三町内の役員が山頂で篝火を焚き、夜通し御神体を守っている

荒谷町観音立像は県指定文化財になっている。
総高201cm、冠から天衣・持物・蓮台まで桂材の一木から彫られ、
像は、やや右側に傾き、各所に墨書描きが多く用いられ、前面に淡赤色が施されている
左手の五指をまるめて、未敷蓮華の茎を握り、右手は胸前で掌を内側に向けて立て
第一と三指を捻じて蓮に添えられ、その他の指は伸ばしている
未敷蓮華は、悟りをひらく途中の姿だと、学芸員の説明があった
ならば観音さまは、現在もこの地で、我々衆生をいつでも受け入れ、
慈悲の心で、救済し、仏の世界へ導いてくださっている、大きな存在である
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同じ地区に居て、神仏に対しての信仰心の違いに驚かされた、今も観音立像は、
偉大な山懐に抱かれ、脈々と信仰心厚い、村々の人たちによって、大切に守られている
と共に、小さな集落にすぎないこの地が、当時いかに栄えていたかが想像できる

posted by 和姫 at 04:23| Comment(0) | 史蹟・神社 仏閣

2014年06月05日

なつかしい「ほうばめし」作ってみませんか

飛騨高山地方では、乾燥させた葉の上に、味噌と食材をつつみ
焼いて食べる、郷土料理として全国にしられているが
越前市では、大きなほうばの葉に、ご飯にきな粉をまぶし
包んだだけのシンプルな食べ方をする
ほうばの香りが、ご飯に程良くなじみ、おいしく昔なつかしい

田植えの頃の、休憩のおやつとしてたべられていたが、
最近の農業は機械化が進み、田植仕事は人手がいらず
きれいな緑の苗が、またたくまに植えられていき、
あぜ道で一服している、風景を見ることはない

この季節になると、ほうばめしが懐かしく、店頭で
10枚200円で売られていた葉を買いさっそく作ってみた
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@ほうの葉を十字に置き、砂糖、塩少々入れ、味付けしたきな粉を葉の上にのせる
Aきな粉の上に、炊きたての熱いご飯をのせて、もう一度その上にきな粉をかけて
 手早く包み、ゴム輪で止める
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B包んだほう葉めしを、熱いうちに、ハッポースチロールに入れ、軽く重石をしておく
 これででき上がりです、簡単にできるでしょ
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(注)熱いご飯を入れないと、ほう葉の香りがご飯にうつらない
   葉が茶色に変色すればよい
   きな粉がしっとりとご飯になじむ様に多めにかける 朝作れば昼には食べられる

   なかの食材を変えて、アイデアを凝らしてつくると、若い人達に好まれると思います
   
   
   
タグ:郷土料理 
posted by 和姫 at 01:03| Comment(0) | 料理

2014年06月02日

越前市桧尾谷町に残る 鞍谷氏の供養塔

越前市街地から、車で15分、魚見坂を経由して池田町に至る、桧尾谷町の道路沿いに
「ここから700m、鞍谷氏供養塔」の看板をみっけ、山に向かい車を走らせる
この地の小字名は「陵(みささぎ)」と呼ばれ、丘陵であった
 鞍谷氏供養と伝えられているものは、笏谷石製の七重塔で、すでに相輪から上部はなく
高さ約230cmで、装飾紋様や銘文、種子は一切認められない。
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 京より越前に下向した、室町3代将軍足利義満の孫嗣俊は、鞍谷氏を名乗り、
足利将軍家の流れをくむとして御所号を許され、鞍谷御所と称し、現在の味真野神社に
居住していた。鞍谷氏は嗣俊、嗣時、嗣知の3代にわた150年間この地を支配していたと
伝えられている。

最近の説によると、室町時代後期には、越前に勢力をもっていた朝倉氏が、
文明18年(1486)斯波義俊を越前守護に迎え 鞍谷氏の
娘との婚姻関係を結ばせ、鞍谷氏を相続させたといわれている。、
天正3年(1575)朝倉氏滅亡後は、小丸城を築城した織田信長の家臣、府中3人衆の
ひとり佐々成政に従ったと伝えられている。

池泉町には、館跡があり、武衛山には居城跡が残されている。供養塔北側の
「石山はずれ」と呼ばれるところには、鞍谷氏の菩提寺真言宗慈雲寺があったが
天正3年8月、織田信長の一揆侵攻で滝川一盛の兵に焼き払われたと伝えられている





posted by 和姫 at 21:33| Comment(0) | 歴史的遺産