2014年03月30日

奥深い「越前万歳」そのルーツは?

今回の味真野ふるさと講座は、地元発祥の越前万歳について
保存会代表・堀先生の話を伺う
年齢を感じさせない、素敵な笑顔で、生き生きと話される
そのお姿に、50年間伝統を守って活躍されている、信念と自信が
伝わってくる
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古来から日本には、新春に神が福を授けにやってくるという
「言霊(ことだま)」言葉の信仰があった
新春に各家を訪れ、おめでたい言葉を並べ、「歌い、舞い、寿い」でまわる、
めでたい言葉を聞いて、福が舞い込み、家が栄え繁盛すると信じたのです。
これが「万歳」で「祝福芸」という

越前万歳は、馬の革をはった小さな「すり太鼓」を
弓形をしたバチの外側でこすり音を出す、
「恵比寿大黒、おめでたい、鶴は千年亀は万年」などおめでたい聞きなれた
言葉はわかるが、言葉は早口で、聞いていてわかりにくいが、
全体の雰囲気から、何を表現しているかはわかる
また、そのリズムは特異的なものを感じさせ
インドからシルクロードを通り、日本へ入って来たのではないかと思われる

越前万歳のルーツは、天正元年(一五七三)八月、越前を攻めた織田信長は
一乗谷の朝倉義景を滅ぼし、天正三年(一五七五)大軍をもって越前国に侵入して
一揆衆を全滅させ、越前国を配下に収めると、柴田勝家を越前北の庄城に置き八郡を与えた
信長は勝家の見張り役として、府中三人衆「佐々成政(さっさなりまさ)・
不破光治(ふわみつはる)・前田利家」を入府させ、三人に合わせて十万石を与えた。
成政は小丸城を、光治は龍門寺城を、尾張国(おわりこく)荒子(あらこ)出身の
前田利家は府中城を与えられた。
この時、利家が尾張万歳を越前へ伝えたと言われている

越前万歳は伝承の地名を取り、もとは「野大坪万歳」と言われている
府中3人衆と関係の深い、味真野地区での発祥は、いかにこの地区が
栄えていたかを物語るのではないだろうか

その後、利家の加賀移住とともに、
越前万歳も加賀、大聖寺へ出向き、芸を披露しで歓待された
万歳師の宿には、前田家の家紋、剣梅鉢の紋の入った提灯を掲げる
ことを許されるなど優遇されている

越前万歳の演目で、昔から式三番として大切にされている
「ことぶきの万歳」がある。
このなかで、才蔵は大きな押絵の「チョウチョなぎなた帽子」をかぶり
赤いたすきに扇をもって舞い、途中で細竹の先に5色の布を付けた
シテと言う棒を持って演じる
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「ことぶきの万歳」の内容は、新春に金沢に出向き、藩主、奥方、若君、姫君への寿ぎを謡い
新春の華やいだ城中を寿ぎ、やがて屠蘇の酔いで初夢を見る
初夢は広い野原で若君たちが、源氏と平家にわかれ、合戦に夢中になるという
一門の繁栄も約束されるという戦国期にふさわしいものである

もし「チョウチョなぎなた帽子」が「ことぶきの万歳」のなかの源平合戦の
平家方の帽子に付けられた、平家の家紋「蝶」と考えられないだろうかとの質問に
先生のご指摘は、前田家は源氏だから、それは考えられないとの事でした

また、万歳のなかの源平合戦が、金沢の正月の室内集団遊びとして
昔から「旗源平」として子供に遊ばれている事は、
万歳の影響を受けているのではないかと先生はいわれている

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「カツト木版 陶工・塚原介山 昭和12年の作」郷土研究雑誌、南越民俗第4号表紙より

越前万歳は平成7年、国の無形民俗重要文化財の指定を受け、
全国の三大万歳に数えられている。
今年の新春、孫が出演することもあり、初めて万歳が演じられる味真野商工会にでかけた
「百聞は一見にしかず」自分が思っていた、万歳のイメージとは程遠いものがあった。、
これからも土地に根づいた文化を大切に、越前市の宝として、
市全体が興味をもち継承していってほしいと願う



タグ:越前万歳
posted by 和姫 at 09:55| Comment(0) | 伝統行事

2014年03月29日

越前城福寺「花筐の桜」の見頃は2,3日後

春の訪れと共に、越前市で最初に咲く桜は、越前市五分市町、
城福寺の花筐(はながたみ)のしだれ桜

継体天皇とゆかりの深い、越の入り口、味真野は、
若き日の継体(けいたい)天皇の伝承が残されている
室町時代に世阿禰(ぜあみ)によって書かれた謡曲「花筺(はながたみ)」は、
継体天皇と照日前(てるひのまえ)の美しいロマンが、味真野を舞台に描かれている。
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この歴史的舞台から名づけられた「花筐の桜」は、長く垂れさがる枝先に
蝶が舞うように花を咲かせ、可憐な照日前を連想させてくれる

ソメイヨシノより、一足早く咲き、花の頃は3月下旬から4月初旬まで
お花見シーズンを迎える頃には散ってしまい、花の見ごろを見過してしまいがちです
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          平成26年3月28日現在
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今年の冬は暖冬で、雪のない冬を過ごし、春をむかえた桜の樹は
開花も早いのではないかと、城福寺を訪れた
3月28日現在、花は7分咲き、気温が上がれば、あと2,3日で満開になる
だろう、今度の日曜日が花の見ごろと思われる


posted by 和姫 at 22:06| Comment(0) | 自然 風景 写真

2014年03月16日

越前市帆山寺涅槃会

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観音山帆山寺(古称 青瀧(せいりゅう)山円乗院帆山寺)は、当寺第一世真(しん)観(かん)大徳の草創で、天平(てんぴょう)元年巳年(七二九)二月十八日、聖武天皇の勅願により藤原房前(ふじはらふささき)の詔(みことのり)を賜り、当国今立郡帆山町に於いて七堂伽藍二十社が建立され、境内は縦横三十五町 御供田五千石、旧例の如く諸役免除之有り。また観音遥拝所(ようはいしょ)(現住吉町)十五町四方は、天正十九年(一五九一)木村(きむら)常(ひたち)陸(の)介(すけ)より寄進された所である。
その後、信長公の戦火により焼失した後は、現在地(住吉町)に移り府中府中城主本多富(とみ)正(まさ)公の帰依(きえ)を受け、入府の際には立葵の紋の使用が許された。
北陸三十三所観音霊場の八番霊場として、千手観音を本尊とする、天台宗比叡山の末寺である。
                            
                        

この寺は、曹洞宗大本山総持寺開祖瑩山禅師の慈母が祈願した寺である。
信仰心厚い慈母は、毎日山道を多禰(たね)の観音堂に詣でて、子宝に恵まれることを願い祈りつづけた。そんな思いが通じたのか、ある日、光を飲む夢を見てめでたく懐妊し、一層観音信仰を深められた。
「胎内の子が、世のために役立つならば無事に出産できます様に、もし世人に害を与えるならば、我が身と共に滅してほしい」とかたい誓いをたて、毎日三十三卷の観音経を唱え 三百三十三拝の行を自分に課せ、胎内の子の安からんことを多禰の観音に祈願して、三十七歳の高齢で、命をかけての出産であった。
    『越前瑩山禅師ものがたり』より    
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                         瑩山禅師顕彰碑  越前市帆山町に建立                 


帆山寺の本堂左手を入ると 江戸時代初め、松の樹の芯で造られた
等身2m50cmの金箔を施した、釈迦涅槃像が安置されている。
この尊像は、国内でも大変珍しい大きな木造であるという説明文が添えられている
涅槃会が執りおこなわれる本日、尊像の扉が全面にあけられています
尊像の後壁には、お釈迦様の入減を悲しむ、優れた十人の釈迦弟子が描かれている
創建は越前市で古く、多くの歴史が残されている

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                     お釈迦さまの入減を悲しむ、釈迦十大弟子壁画

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                            お御堂 涅槃図
posted by 和姫 at 16:38| Comment(0) | 史蹟・神社 仏閣

きれいな涅槃団子「おみみ」できあがりました

一晩置いたおみみが、1cm厚みに切られ、山積みされました

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おみみ作りの楽しみは、どんな模様が出てくるか、
ワクワクしながら切る、この一瞬にあります
きれいだったり、不本意な形だったり、これだけの数を作ると
でき上がりはさまざまですが、こころを込めて作りました。

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おみみの形をした、色とりどりのきれいな涅槃団子が、
5ヶずつ袋につめられ
参拝者に配る1200袋ができ上がりました

袋には @ 焼いて食すれば 開運招福 心身健康
    A 身につければ 交通安全 蛇難消除
    B 財布に入れれば 金運成就 商売繁盛
      の添え書きがある

涅槃団子は地方により、呼び方はさまざまだが、越前市では
「おみみ」と呼んでいる。お釈迦さまの教えを聞く、耳をあらわして
いるのでしょうか。

子供のころ、外遊びの多かったわたしに、
母が身につけていれば、ヘビにかまれないよと言っていたことを思い出します。
子供のころに見た「おみみ」が、今も続けられていることに
あたたかいものを感じると共に、「おみみ」作りに携えることに感謝です
北陸地方は、この涅槃会と共に、春の訪れを迎えます。
明日3月15日・2時から涅槃会が行われます。お参りください
posted by 和姫 at 15:06| Comment(0) | 史蹟・神社 仏閣

2014年03月13日

帆山寺の涅槃団子つくり

雪深い北陸地方では、お釈迦さの亡くなられた日(涅槃会)は3月15日に
行われることが多い。
越前市の古刹、北陸33観音霊場・8番札所帆山寺も毎年3月15日に
涅槃会が行われています

今日は参拝者に配られる、涅槃団子を作りました、
地方によって、お釈迦様の舎利(お骨)などと呼ばれていますが
越前市では(おみみ)と呼んでいます

涅槃団子(おみみ作り)
 
 @ もち粉1合:米粉9合の割合で1升に

 A 大きいボールに入れた1升の粉に対して、沸湯180CCを
   粉の上にまんべんなく注ぐ

 B 熱いうちに粉をご飯しゃもじで混ぜ、あとは手でこねてひと塊にする
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 C 蒸し器に麻布をひき、こねた塊を握りこぶしの大きさにくだき蒸す
   だんごが透き通るまで蒸す

 D 蒸し上がっただんごを、もちつき機に移す、1升のだんごに対し塩大さじ1と
   好みの色粉を入れこねる。量に注意する うすい上品な色が好まれる
  
 こね加減ををみること 
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 E 蒸し上がっただんご3色を重ね、両手の手のひらで延ばしていく
   最後に棒3本でお耳の形を作る

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   もち米、うるち米合わせて60キロの製粉された
   真白な粉がこねられ、きれいな色とりどりのおみみができ上がりました
   1晩置き、堅くなったところで切ります
   さて、どんな模様がでてくるか明日が楽しみです
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posted by 和姫 at 22:49| Comment(1) | 史蹟・神社 仏閣

2014年03月09日

「ハート型金具」府中城本多館の表門に歴史を残す

初代福井藩主・結城秀康の筆頭家老となった本多富正は、慶長6年(1601)
領主として越前府中へ入封した。
富正はまず、街の整備から着手した、日野川に堤防を築き、街に用水を引きこみ
北陸道を整備し、また、近在から寺院を移転させ、城下にには商人、職人を住まわせ
るなど、街の繁栄システムを構築して、現在の越前市の街並みの基礎を築いた。
富正は、現在の越前市役所当たりに、石垣を築き、掘りを巡らせた館を築き
本多家は9代にわたり、明治までの270年間、府中を支配した。

越前市の市街地の中心地、総社の南隣、浄土宗正覚寺の山門は
旧本多館の表門を移築したもので、城郭門形式の高麗門で
本多家家紋である立ち葵の紋が、正面に2個と側面に2個付いている
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山門の屋根の瓦には、笏谷石が用いられているが、残念なことに年数と共に
痛みが激しく、柔らかい笏谷の屋根は崩れだし、歴史的遺産がこのままでは
失われていくのではないかと危惧される。
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この山門に取付けられている金具に注目したい。
門には、越前府中を象徴する、鍛冶職人が作ったと思われる「ハート型金具」が付いている。
産地を特定するためにこのデザインが使われたとおもわれ、
全体的に取付金具を見ていると、トランプのダイヤ、クローバーを思わせる
遊び心一杯の、夢多き職人の手仕事の跡が伺える
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正覚寺北側には、土塁が残されている。
暦応元年(1338)南北朝時代、この正覚寺の地に構築した、
新善光寺城を本拠とした北朝方の武将斯波(足利)高経と
南条町杣山城を処点とした、南朝方の武将新田義貞軍と日野川を挟み
激しく攻防を繰り広げた戦いは、『太平記』第十九巻「新田義貞越前の府の城を落とす事」に
記されている。
タグ:本多富正
posted by 和姫 at 00:48| Comment(1) | 史蹟・神社 仏閣