2013年12月31日

NHK ゆく年くる年 タケフナイフビレッジから生中継

越の入り口、味真野は若き日の継体天皇の伝承が残る土地である。
室町時代に世阿弥によって書かれた謡曲「花筐」は、
継体天皇と照日前の美しいロマンが、味真野を舞台に描かれている。
また、天平時代、聖武天皇の女官狭野茅上娘子に恋した罪で、
流罪の身となった武官中臣宅守との悲恋の舞台も、ここ味真野の地で
2人の相手を思慕する美しいこころは、相聞歌の秀歌として永遠に万葉集を
代表する歌となって生きている。
このように、味真野には早くから政治、経済、文化が花開き、朝廷や皇族との
関係もあり、越前国の要所として花開いてきた場所である。

この豊かな文化香る一角に、タケフナイフビレッジはある。平成5年、若手鍛冶職人を中心に
日本古来の火づくり鍛造技術、手仕上げを守り現代の生活にマッチしたデザインを融合させ
越前ブランドとして、常に新しい物づくりに挑戦している共同工房である。
 昭和54年に越前打刃物は全国打ち刃物業界で初めて、伝統工芸品として認められている。

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      「タケフナイフビレッジ」全景

今日、NHKゆく年くる年は、福井県を代表して、タケフナイフビレッジから
「初打」が生中継されます。
動力のなかった時代の刃物を鍛える作業で、炭を燃やし、風をおこし、鉄を火の中で
赤めて刃物を鍛える。親方と子方3人が一体となり、刃物の形を作りあげていく
古式ゆかしい伝統的な作業、古式鍛錬が放映されます。

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        「NHK 機材の一部」

今年12月4日「和食・日本的の伝統的食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録さた
日本は豊かな自然に支えられ、山、海、里と豊富な食材に恵まれ、美味を堪能できる。
各地に伝わる調理法もさまざまで、その食材を生かす調理方法、調理器具はたくさんある。
料理を作る時にもっとも大切なもの、そして1番よく使用するのが包丁です。
切れない包丁で料理しても、イライラするだけで、仕上がりも納得できませんよね。
自慢ではありませんが、わたしも越前ブランドの包丁を使用しています。
 
越前打刃物は、今をさかのぼること、700年前、南北朝時代(1334〜1392)
京都の刀鍛冶職人千代鶴は、刀鍛冶に適した場所を探して全国を遍歴した結果、
ここ越前に永住したという。
千代鶴は刀を鍛える傍ら、農具「片刃鎌」を考案し、今に伝わる「越前鎌」の元祖と伝えられている。
また千代鶴という、おめだてい銘からも、江戸時代には、将軍や大名から、還暦、古希
喜寿などの祝いに、献上や下賜の刀として購入したという。

和食の大切さ、越前打刃物の良さを、全国の皆さまに知っていただく
実りある放映となることを祈念して、新年を迎えます。



タグ:越前打刃物
posted by 和姫 at 20:53| Comment(0) | 伝統工芸品

2013年12月15日

「赤穂浪士討ち入り」と府中本多家江戸屋敷

「時は元禄15年12月14日、江戸は本所、松坂町、吉良上野介の江戸屋敷・・・」といえば皆さんご存じ、赤穂浪士の討ち入りです。
12月2日から宮内庁ホームページにて、赤穂浪士の吉良邸討ち入りに関する
資料6点などが初めて公開された。
 討ち入り事件は、江戸城内で吉良上野介に切りかかり
切腹となった赤穂藩主浅野内匠守の仇討のため、大石内蔵助はじめ、
赤穂浪士47名が吉良屋敷を襲撃した事件である。

この東隣が本多家3代目孫太郎長員の江戸屋敷だったのです。
公開された吉良邸見取り図には、討ち入り時の、各義士の位置が
赤字で記されている。東表門近くに内蔵助が、西裏門には、
義士47士の長老、堀部弥兵衛金丸の養子堀部安兵衛が陣取ている。

堀部弥兵衛の妻は、本多家家臣、忠見元右衛門の長女で、
親子2代、本多家とのつながりをもっていたため
吉良邸の様子や赤穂浪士の動向が手にとるようにわかっていたのです。

『赤穂義臣伝』には「堀部方より指し越したる絵図に、引き合わせ
ともに書き入れける・・・」とあり、堀部親子が忠見家を通じ情報を入手したようで
邸内の様子も細部にわたり調べてあり「夜ごと寝間は移し替えられる様で、
朝になると女中が水を南の間へ運んだり、北の間へ運んだりしている。
夜の行灯もいろいろな所へ運んでいるので要注意」など
邸内の様子がてにとるようにわかる。
討ち入りは15日午前4時、義士を助けるため、本多家では高張り提灯で
上野介の屋敷を照らし協力したことは、有名な話である。
赤穂浪士の討ち入りは、太平の世を揺るがす大事件でしたが、
この成功の陰には本多家が大きく関係していたようです。

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 本多一族菩提寺、越前市龍泉寺に建立されている、本多家3代長員(ながかず)の墓
幼名孫太郎 寛文九年(1669)3月7日 昌長の4男として府中で誕生
同年父の逝去により、0歳にして家督を継いだ。亨保2年(1717)正月23日
49歳で逝去。戒名は護法院殿慈眼正慧大居士
初代富正、2代昌長の墓は、高さ約5mの五輪塔でできているが、3代目長員の
墓はグット小さくなっている。

posted by 和姫 at 01:05| Comment(0) | 地方・郷土史

田の神さま、今年1年ありがとう

越前市平林町、集落のなかほどに五体の石造が安置されている。
「田の神さま」と言われ、アワビ形の石を立てたもので、
それらの塔は前面に輪郭をもち、東向きに横一列に並んでいる。
田の神は、旧暦2月に神さまを山からお迎えして
12月には感謝して山へお送りする。
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今年一年の農作業の無事と五穀豊穣を感謝して毎年12月5日に
神事が行われる。
儀式は当番制で1軒が宿番となり、その宿番は「村人十人衆」立会のもと
豊作をもたらしてくれた「田の神さま」に感謝して、「田」の四隅に清めの
塩を盛り、取水口には真新しいコモを敷き、田の神さまに感謝の意を表します。
一蓮のこの儀式は、羽織袴という正装で行われている。

この日、今も田の神さまにお供え物をしている
西谷町の伝右衛門氏のお宅へ、写真を撮りにうががった
昔とは簡素化になっているが、大根、蕪の太い輪切りを味噌仕立てにしたもの
焼カレイ、大きく切った大根、あげ、人参、里芋の煮物、
おはぎ(昔は1升ますに入れた大きなおはぎ)を農作業道具「みい」に並べ
農作業小屋の種もみのまえにお供えしたが、現在はコンバインの上にお供えしている
今では、この様に手をかけてお供えをする農家はほとんどなくなってきたと言う。

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日本人の米離れが進んでいるというが、私たち世代にとって1番おいしいのは
お米。梅干しに昆布そんな単調な素材が新米にはお似合いです。
タグ:田の神さま
posted by 和姫 at 00:40| Comment(0) | 伝統行事